日语综合教程第六册第二课课外阅读翻译。

穏おだやかさとは対照たいしょう的てきな、もう一ひとつの过酷かこくな自然しぜんは、その厳きびしさの中なかにも美うつくしさがある。私わたしは静しずまり返かえった山やまが好すきだが、风かぜが吹ふき、吹雪ふぶきで荒あれ狂くるう山やまも好すきだ。そうした中なかで、ちっぽけ な人间にんげんが、ちっぽけな私わたしが、精せいいっぱい努力どりょくし、登山とざんを成なし遂とげる 。人间にんげんの歴史れきしから见みればどうでもいいことであり、はたから见みても、ばかばかしい 行为こういかもしれないが、自然しぜんが过酷かこくであればあるほど、それを克服こくふくしたときの私わたしの喜よろこびは大おおきなものとなっていく。

人间にんげんというのは、ともすれば安易あんいな方向ほうこうに流ながされていってしまうものである。穏おだやかな环境かんきょうの下したで花见はなみをし、自然しぜんを満喫まんきつ し、自分じぶんの都合つごうで自然しぜんを賛美さんびする。雨あめが降ふり、风かぜが吹ふき、雪ゆきが降ふり、あるいは逆ぎゃくに日ひが照てり辉かがやきすぎるのを嫌きらうが、そうした自然しぜんの営いとなみの中なかで、植物しょくぶつも动物どうぶつも他たの様々さまざまな生なま物ぶつも健すこやか に育そだっていく。だが、人间にんげんだけは、そうした自然しぜんの営いとなみの中なかで自分じぶんに快适かいてきなことだけを、よしとしている。自みずから精神せいしん的てきにも肉体にくたい的てきにも自じ然しかに适応てきおう できなくしている。それが悪わるいと言いっているのではない。たまたま、私わたしの脳のうの中なかにインプットされた远とおい昔むかしの野性やせいの部分ぶぶんが、いかなる自然しぜんの営いとなみもごく自然しぜんに受うけ入いれられるようにできていたのであろう。

安稳的对面,是严酷的自然,在严酷中又有着美丽。我喜欢在大山中回归自我,威风吹拂的大山,狂风大雨的大山我都喜欢。在这之中,小小的人类,小小的我,努力的爬上山顶。从人类的历史上看,有特别好的的事情,从侧面看,很蠢的事情也是有的,自然变得越来越严酷。我克服自然获得的喜悦也随之增大。
人类这个物种,是很容易流于安逸的。安稳的环境中,一边赏花,一边享受自然,按照自己的喜好赞美自然。人讨厌下雨,刮风,下雪,或者是相反的太阳太晒,但是在自然的安排下,植物也好动物也好都茁壮的生长着。但是,只有人类,在这样的自然的活动中只把自己适应的部分认为是好的。这也不能批评人类什么。只是偶尔,我的脑海中那部分存在的远古的野性,不管怎样也会接受自然的安排吧。
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